全国に、【鬼】と名の付く地名は多い中、【鬼一族】発祥の地、島根県大田市大屋町「鬼村(おにむら)」は、村なる戸数単位を除けば【鬼】そのものの地です。
前述の通り、【鬼】のすべては、「鬼神」こと「大年神」を祖とする「鬼神社」・「大年神社」より始まります。
というのは、
- 『石見風土記』に、鬼村に「鬼加美社(おにかみしゃ)」あり
と記されていることから、「鬼神社」も、この地に存在したと考えられること。(現存せず)
(「加美」は、「神」の借字であることから、
「鬼加美社」=「鬼神社」)
- 「地名から起こる長(おさ)名=神」が最も古いスタイルであることから、【鬼】地の長が死に、「神」として祀られた
のがこの「鬼神」である。
「かみ」は、「加美」、「上」共に「神」の借字であることから、「大年神社」を中心とする地区名「鬼村上(おにむらかみ)」は、「村」なる単位を除くと、
「鬼上(おにかみ)」=「鬼神(おにかみ)」
と呼ばれる所以の地である。
よって、「鬼神」を祀る「鬼神社」も、「大年神社」と同地に存在したと考えられること。
- 鬼村の地番は、「大年(おおどし)」(小字)、「大年(おおどし)」(穂ノ木)地にある「大年神社」が[鬼村一番地]である
ことから、村の中心はこの社であること。
と、以上三点の事柄から、大年の「鬼神社」・「大年神社」が【鬼】のすべての中心であり、二社の祭神は、共に「鬼神」こと「大年神」であると思うのです。
「鬼神」=「大年神」の図式。
古田武彦氏によれば、日本歴代王朝の源は「出雲王朝」であるとのことですので、「出雲王朝」以前には「石見王朝」が存在したと考えます。
つまり、
【鬼】こそは、日本歴代王朝の起点であるという訳です!
何故? いかなる理由からか?ですが…
「石見王朝」・「出雲王朝」の天王スサノヲ・オオグニヌシ=【鬼一族】なる図式と考える筆者にとって、【鬼】に係わる諸外国や日本の書物類をはじめ、全国の地名
・神社名・祭神名・姓等が、それを語っているから≠ノほかありません。
『魏志倭人伝』には、卑弥呼(ひみか)は、鬼道に事(つか)えた。卑弥呼の支配国に三十三ヶ国あり。国内に「鬼国」、「鬼奴国」…ありと記されています。
この「鬼道」、「鬼国」、「鬼奴国」
とは、【鬼一族】に関わる名称ではないでしょうか?
「鬼道」は、中国の宗教的なものでは?≠ニ記された書物も
ありますが、本当のところはわかりません。
また、「鬼国(きこく)」・「鬼奴国(「きどこく」、または「きぬこく」)」がどこであるのか、探し当てた者もいませんが、ヒミカ以前がアマテラス、それ以前がスサノヲ・オオグニヌシであることから、
「鬼国」=鬼村
「奴」は、「あたり」という意であることから、
「鬼奴国」=石見
を指しているのではないでしょうか?
つまり、『魏志倭人伝』は、三世紀における「出雲王朝」→「九州王朝」の変遷から、【鬼】(鬼村)地も「石見」も、ヒミカ(倭人)の支配下になってしまった≠アとをいっているのです。
ヒミカの本拠地「筑紫(ちくし)」は、かつて、【鬼一族】スサノヲ・オオグニヌシの支配地でありました。
筑紫には、それを物語るかのように、【鬼】にちなむ
鬼木(おんのき)
鬼古賀
鬼津
鬼前
鬼塚
等々の地名が存在し、スサノヲを祀る「須佐神社」が、福岡県に
は、
嘉穂郡:36社
三瀦郡:30社
田川郡:21社
宗像郡:27社
にものぼり、北部九州における、かつての「荒ぶる神スサノヲ」の勢いを表す数の多さです。
これらは、何か来歴(いわれ)があってこその地名・神社数であり、何の脈絡も無きところに突然ヒョッコリ現れるといったものではないでしょう。
わずかな例ですが、島根県出雲市にも【鬼一族】にちなむ、
「大年(おおどし)神社」
大年(おおどし)(地名)
「鬼村(おにむら・きむら)」(姓)
をはじめ、全国には、
鬼沼
鬼神谷
鬼門崎
鬼入道山
「大国(おおぐに)」(姓)
「荒木(あらき)」(「荒鬼」)(地名・姓)
「島根」(地名・姓)
等々が存在することから、【鬼一族】が、石見から出雲、筑紫、
全国各地へと侵略していった足跡が伺えます。
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