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スサノヲは【鬼】だった! 石見神楽
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石見神楽

 

【鬼】は、本当に化け物なのか?

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 【鬼】?


 ほとんどの人々が、化け物・妖怪の類と信じて止まない、あの オニは、赤・青色の皮膚をし、金棒を振り回しては乱暴狼藉を働いた挙句、子供を捕っては喰らい、人々を苦しめる悪しきモノ と言われるほど、如何とも致し難き「悪者」なのでしょうか?


 答えは「ノー」です!


 筆者は、「鬼村(おにむら)」(島根県大田市大屋町鬼村)の生まれであるため、幼少の頃から、 
〈鬼村だことのワーイワイ、ざいごべ、ざいごべェ〉

  (ざいごべ=在郷べえ) 

 つまり、「鬼村だなんて、ド田舎モン」とからかわれたものです。 
 それから五十年を経た今でも 〈すごい地名ですねえ、ものすごい所なんでしょ?〉 
(何がものすごいのか分かりませんが…)なる言葉が返ってきます。


 そして、 

〈深山幽谷、それこそ【鬼】でもいそうな所に住んでいるんだこの人は…〉 
というような眼差しで見られるのが常なのです。

  内心ややムッとしながら、 

〈そりゃあ、鬼村だなんて、かなりインパクトが強烈で、変わった地名ではありますがねえ…〉
〈そういうあなたは、【鬼】の正体をご存知なのでしょうか?〉、 
〈【鬼】をごらんになったことが、おありなのですか?〉

などと思いつつです。


 このようなコメントは、十人が十人、いや百人が百人の人々が、【鬼】など見たことも無いのに、 

 『桃太郎の鬼退治』
 『大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)』

 等々の伝承話、あるいは、 

 『古事記』 
 『日本書紀』 
 『上記(うえつふみ)』 

等々の書物に見える、鬼は、化け物、妖怪であるとの記述から、【鬼】とは、なにやら不気味で得体の知れぬおぞましき怪物、という思い込みによるものであると思います。  


 人類が、宇宙へと旅立つことが可能となった二十一世紀の世となった現代でも、目には見えぬ人間以上の力を持つと恐れられ、人に害を与える怪物であり、得体の知れぬ実におぞましきものの代表格に挙げられている【鬼】…。


 全国津々浦々、このように【鬼】というだけで、だれもが眉をひそめるほどに忌み嫌い、挙句の果てに、

 鬼婆(おにばば)
 鬼畜(きちく) 
 鬼門(きもん) 
 天邪鬼(あまのじゃく) 

等々、【鬼】への悪しき表現は枚挙にいとまが無いほどです。


 『古事記』には― 

 荒ぶる神=乱暴する鬼(かみ)
 まつろわぬ(服従せぬ)人等 

なる記述があり、
 『上記』にも― 

 (まがかみ
 荒ぶるかみ)=乱暴をはたらくかみ 
 子供を捕っては食べるかみ) 

と、散々ですが、悪いながらも【鬼】を「かみ」と読ませていることから、【鬼】=「神」なる時代があったと考えるのです。


 また、『広辞苑』においては―

  天つ神に対して、地上などの悪神。邪神。恐ろしい形をして、人にたたりする怪物。もののけ。と、まるで講釈師のごとく、見てきたかのような【鬼】への罵詈雑言です。 


 どの書も、よくぞここまで、【鬼】=「おぞましき化け物」として描いているものです。 

往古から、これら異常とも思える【鬼】を誹謗中傷する表現が、【鬼】=「悪者」として人々の心の中に住みつき、現在も君臨し続けているという訳です。


 だからこそ、このような悪しきモノ(鬼)など生かしておく わけにはいかぬ! よって、我々は鬼退治をする、又は、したのだ≠ニ、戦勝者(「九州王朝」・「近畿王朝」)は躍起になって、大義名分を振りかざし続けてきたのです!


  【鬼】のたとえは、このような悪しき表現の多い中、京都、兵庫、東北地方の一部では、【鬼】は「善きモノ」としても伝承されています。


 節分ともなれば、全国のほとんどの地で、[福は内、鬼は外]と【鬼】を追い払う行事が多い中、かの地では[福は内、鬼も内]であったり、鬼払いのための豆まきはしない≠ニ聞きます。


 海士なる【鬼一族】は、オロチ討伐後、その勢力拡大のため全 国の鉱物産出地を侵略していったのではないでしょうか?


 ヤマタノオロチから奪取した、高文化の「ふいご」を用いるという精錬技術をもってすれば、いかなる鉱物も加工可能です。

  祭器・宝器をはじめ、太刀・槍・弓・鎧(よろい)・兜(かぶと)などの武器・武具類、鍬・鎌・鋤(すき)等の農具類、包丁・匙(さじ)等の調理器具製造など、造作も無いことであったでしょう。 


 この【鬼】と「ふいご」の関係を示す「絵」なるものが存在します。


 岩手県立博物館所有の ふいごを使い、喜々として製錬技術を人間に伝授している鬼達の絵 です。

中世に描かれたものとのことですが、いずれにせよ、妖怪の顔をした【鬼】が、にこやかに笑みを浮かべながら、人間と共に、ふいごの把手(はしゅ)を押したり引いたりしながら、精錬作業をしている絵なのです。


実に楽しそうなのです!


 これは、【鬼一族】がふいごを使うことによる能率性の高い製錬技術を、侵略地の人々に伝授しているところではないでしょう か? 

 この絵の様子では、【鬼】と人間との関係がさほど悪そうに見えないことから、かの地での【鬼】は、あまり忌み嫌われる存在ではなかったと思われます。 

 全国には、この「絵」に限らず、「鬼と鉱物 」との関係を伺い知ることのできる、諸々の事物が有形無形で存在すると思われます。


 では、この【鬼】の正体とは、一体何なのか?です。


 残念ながら、今日にいたるまで、その正体を知る人はほとんどいません。


 【鬼】とは、ほとんどの人々が化け物・妖怪と同列に考えていますが、筆者は、

   「鬼=人=神(死後、神として祀られた人)」 

と考えることから、なぜこのように、角や牙を生やし、金棒を振り回しては乱暴狼藉の限りを尽くし、人を捕っては喰らう実(げ)に恐ろしきものの象徴≠ニされてしまったのか…。 

 納得がいかないのです。


 また 、「禍(まがかみ)」、「悪(わるがみ)」などと、【鬼】をかみ)」と呼びつつも、乱暴、粗暴、粗悪、卑劣、下品≠ニ、ありとあらゆる誹謗中傷的な表現をされるのは何故なのか?


 裏を返せば(逆転の発想をすれば)、 

【鬼】は、かつて神(鬼神)と呼ばれた時代があり、 人々から崇め敬い慕われ、信望は絶大であった! 

からこそ、 

【鬼】をワルモノに仕立て上げねば、 戦勝者側の立場が成り立たなかったから

 であると推察します。


だからこそ、 

【鬼】は、如何とも致し難き悪しきモノなるゆえ、正義の 味方である戦勝者側はこれを討伐する、或いはしたのだ

 と、躍起になって「大義名分」を振りかざし、【鬼】一掃作戦を遂行してきたものと考えます。 

 この戦勝者側の「大儀」を成立させるために、1,800年もの長きに渡って、【鬼】は悪神であり、また、恐ろしい形をしたもののけであると喧伝し続け、そのイメージ作りに勤しんだのです。


 その証拠に、二十一世紀となった今日でも、これほどまでに【鬼】なるもののイメージが劣悪なのは、戦勝者側の執拗なまでの作為的喧伝が、全国津々浦々に浸透しているからにほかありません。

 

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