スサノヲとは一体何者なのでしょうか?
また、どこからやって来たのでしょうか?
スサノヲが、出雲市「産(うみ)神社」の生まれであるとか、大陸からの渡来人であるなどと諸説ありますが、筆者は、石見【鬼】(現「鬼村」)出身の【鬼一族】であると考えます。
(資料:【鬼】一族 参照)
というのは、スサノヲの出自を物語るものに、「石見神楽(いわみかぐら)」があります。
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「石見神楽(いわみかぐら)」
八つの頭を持つ、悪しき大蛇ヤマタノオロチを退治するという、スサノヲノミコトの戦勝者サクセスストーリーである。
島根県石見地方では、特に盛んに演じられる。「石見神楽」の元祖「大屋神楽社中」による、島根県大田市大屋町「大屋姫神社」での奉納神楽。 |
中国地方では、最も有名な神楽の一つで、並み居る神々の中でも、スーパーヒーローことスサノヲを語るのに最も相応しい話といえば、なんといっても、ヤマタノオロチ退治を題材にしたこの「石見神楽」以外には無いでしょう。
そもそも「石見神楽」とは…
スサノヲノミコトが、乱暴狼藉を働き人々を苦しめる、八つの頭を持つ悪しき「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を退治する≠ニいう内容の勇壮な神楽です。
つまり、ヤマタノオロチを敗者とするスサノヲ(鬼一族)側の
戦勝者サクセスストーリーをいうのです。
では、ここに登場する「石見(いわみ)」、「石見神楽(いわみかぐら)」とは一体何なのでしょうか?
「石見(いわみ)」…
現在は、島根県西部地方を指しますが、そもそもそもは、同県大田市大屋町鬼(おに)村(むら)にある「鬼岩(おにいわ)」(鬼石)(資料:大田市地図 大屋町拡大図
参照)から起こる地名であると考えます。
()内に、「鬼石(おにいわ)」と書くのは、大きな石には、神が宿る≠ニする、縄文時代以前にもさかのぼる巨石信仰のシンボルのことで、つまり、この地に拠を構える【鬼一族】(資料:【鬼】一族
参照)が憑代(よりしろ)としていた
、
【鬼】(地名)の「大石(おおいわ)」のこと
なのです。(資料:大田市地図 大屋町拡大図 の★
参照)
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★「鬼岩(おにいわ)」
(=「鬼石(おにいは)」)
【鬼一族】の憑代(よりしろ)である。縄文時代より続く巨石信仰のシンボル。
島根県大田市大屋町鬼村 御崎(みさき) |
白川静著『字訓』によれば―
石、岩、巌、磐も同じ。「石(いは)」は、特に大きな石を言うことが多く、『万葉集』をはじめ、
「石」はもともと大石をいう字であり、
古くは信仰の対象とされたものである
と記されていることから、現「鬼岩」は、元は「鬼石(おにいは)」であったと考えるのです。
そして、この
鬼石(おにいわ)を見(み)る≠アとが、
鬼石を崇(あが)める≠ニいう意味であることから、
「石見(いわみ)」なる地名は、この「鬼石(おにいわ)」より起こった!と考える理由なのです。
『記・紀』には見えませんが、縄文時代には、大きな石には神が宿るとする巨石信仰≠ェありました。
【鬼一族】は、縄文時代から、この「鬼石(おにいわ)」を憑代(よりしろ)として崇め敬っていたに違いありません。
今も、地元の人々によって大切に守られており、「巨石信仰」が色濃く残っています。
近年、島根県天然記念物に指定されました。
さて、【鬼一族】本貫地と思われる「鬼村」ですが…
今から、およそ3,000前の縄文時代、日本に「王朝」なる確固たるものが存在したかは定かではありませんが、それに近い「長(おさ)」を中心とした
「王国」らしきものは存在したと考えられます。
はじめは、血縁関係者2、30人ほどの大家族に始まり、やがては血縁関係者以外をも含む大所帯となり、これらの集団がいくつも集まり、まとまったものが「ムラ」という形になりました。
そして、「ムラ」→「邑(むら)」→「県(あがた)」→「国(こく)」→「郡(こほり)」→「評(ひょう)」の単位に変化していきました。(七世紀末まで「九州王朝」で使われていた「評」の存在は、奈良県の藤原京、伊場から出土した木簡から証明されています)
いつごろから【鬼】地に「村」が付加されたのか定かではありませんが、『神国島根』に―
「宇摩志摩遅尊(うましまぢのみこと)」は、天磐船に乗り、丹後を経て石見の鶴降山に舞い降り、忍原(おしはら)、於爾(お
に)、曾保理(そほり)の兇賊を退治した後、八百山の麓「物部神社」(石見国)の地にやって来たとあります。
ここに見える
「於爾(おに)」とは、石見の【鬼】(現「鬼村」)のこと
です。
また、200年前の手描きの地図にも、「鬼」としか記されていないことなどから、
往昔よりこの「鬼村」は、【鬼】そのものの地であった
に違いありません。
全国には、【鬼一族】の足跡と思われる、
鬼崎
鬼木(おんのき)
鬼童(おんどう)
鬼頭(おにがと)
鬼峠
鬼袋
鬼前
等々、数えきれないほどの【鬼】地名が存在しますが、【鬼】そのものの村=「鬼村」は、全国広しといえども、石見のここだけなのです!
鬼村には、大年(おおどし)(小字)大年(おおどし)(穂ノ木)の地に、「大年神社(おおどしじんじゃ)」が鎮座します。(資料:大田市地図 大屋町拡大図 の@
参照)
祭神は、この地の開祖「大年神(おおどしがみ)」(以下オオドシガミ)です。(資料:大田市地図
参照)
()内の「穂ノ木(ほのき)」ですが、小字(こあざ)の最小単位をいいます。
(「穂ノ木」に関しては、山口県周防大島町にお住まいの郷土史研究家、藤谷和彦氏に御教授いただきました)
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@「大年(おおどし)神社」
祭神:「大年神(おおどしがみ)」
【鬼一族】本貫地に鎮座。「大年神」は、この地「大年」の開祖であり、【鬼一族】の元祖である。「石見神楽」を最初に舞った社で、祭礼日が4月19日であることから、この日が、ヤマタノオロチ退治記念日かもしれない。(近年4月第3週の日曜日に変更された)
島根県大田市大屋町鬼村大年(おおどし) |
鬼村は、この社を中心に、「鬼村上(おにむらかみ)」と「鬼村下(おにむらしも)」とに二分されます。
「鬼村上」は、「村」という単位を除けば「鬼上(おにかみ)」です。
「上(かみ)」は、「神」の借字であることから、「村」という戸数単位が付加される以前は、「鬼上(おにかみ)」=「鬼神(おにかみ)」だったはずです。
本来、神とは、「その地の長(おさ)が死んで祀られた人」、
つまり、「地名+長(おさ)名」をいうことから、
【鬼】(地名)の長=「鬼神」です!
よって、諸々の事物に現れる、
「鬼神(おにがみ)」の大本は、
ここ【鬼】地の「神」をいうに違いありません!
鬼村は、「大年神社」がすべての中心で、地番も
[鬼村一番地]とこの社から始まります。
『石見史』に、鬼村に「鬼加美社(おにかみしゃ)」ありという記述があります。(現存せず。資料:大屋町拡大図のB 古代地図
参照)
「鬼加美社(おにかみしゃ)」の「加美」は、「神」の借字であることから、「鬼神社」です!
これらの事柄から、「鬼神」を祭神とする「鬼神社」も、「大年神社」の地に存在していたと思うのです。
「大年神」を祀る「大年神社」周辺を、「鬼(村)上」と呼ぶことから、「鬼上(おにかみ)」=「鬼神」=「大年神」という図式ではなかったでしょうか。
『神社名鑑』には―
大年の開祖は「大年神」であり、八代(やじろ。鬼村の小字地名)の「八代姫(やじろひめ)」とは夫婦であるとも記されています。
(資料:【鬼】一族 参照)
オオドシガミが、鬼村「大年」の開祖であることから、夫婦であるこの二人が、【鬼】地の一族=【鬼一族】の元祖であると考えるのです。
そして、後に登場する、
「大国主命(おおぐにぬしのみこと)」(以下オオグニヌシ)
「五十猛命(いそたけるのみこと)」(以下イソタケル)
「饒速日命(にぎはやひのみこと)」(以下ニギハヤヒ)
「大屋津彦命(おおやつひこのみこと)」(以下オオヤツヒコ)
「大屋津姫命(おおやつひめのみこと)」(以下オオヤツヒメ)
「抓津姫命(つまづひめのみこと)」(以下ツマヅヒメ)
「宇摩志摩遅尊(うましまぢのみこと)」(以下ウマシマヂ)
等々の、そうそうたる神々はすべて【鬼一族】なのです!
話を「石見神楽」に戻しましょう。
石見国【鬼一族】の子孫、
スサノヲノミコトのヤマタノオロチ退治の舞台は、
出雲国(現奥出雲町)であるのにもかかわらず、
「石見神楽(いわみかぐら)」
と呼びます。
出雲での戦いであれば、当然のことながらその地の名を取り「出雲神楽」と称すべきではないでしょうか?
「白村江(はくすきえ)の戦い」、「川中島の合戦」、「桶狭間(おけはざま)の戦い」のように…。
ところが、イワミカグラなのです!
このことは何を意味するのでしょうか?
これは、冒頭で述べた戦勝者サクセスストーリーに由来するのです。
ここでの戦勝者とは、石見の【鬼一族】スサノヲであり、敗者はヤマタノオロチをいいます。
オロチ退治の舞台が出雲でありながら、「石見神楽」と呼ぶのは、オロチ討伐後、スサノヲがその先祖オオドシガミに戦勝報告
をし、石見【鬼】地の「大年神社」で、「戦勝記念の舞い」である「神楽」を披露したことに始まるのです。
つまり、
スサノヲを大将とする石見の【鬼】が、
オロチ討伐を元祖「大年神」に報告し、
「大年神社」で、戦勝記念に披露した舞が
「石見神楽」の起源である!
という訳です。
「
石見(地名)」・「石見神楽」は、本貫地【鬼】以外の地でも健在です。
というのは、「石見」の起点である「鬼石(おにいわ)」を憑代(よりしろ)とする石見の【鬼】は、全国の鉱物資源を求めて各地を侵略したことから、これらの地に「石見」・「石見神楽」を持ち込んでいるからです。
【鬼一族】の侵入を裏付ける、
鳥取県:岩美(石見)町、上石見、中石見、下石見、石見川、
「石見神社」
岡山県:石見町
奈良県:石見
等々の「石見」名称をはじめ、「備後・備中」でも盛んに演じら
れる「石見神楽」がそれを物語っています。
これらは、波紋現象を見るがごとく、中心地である【鬼】本貫地よりも、外に広がる波紋(【鬼】侵略地)に色濃く残っているのです。
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